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  • 2018/04/10 23:28

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  • アジアコーヒとは関西地方にかつて存在したコーヒー問屋であり、喫茶店チェーンである。
    第二次世界大戦後、現在で言うところのフランチャイズチェーン店として大阪市神戸市に多く存在しており、最盛期には約40店舗に達していた。大阪ではヤマト珈琲店、喫茶玉一と並んでコーヒーの三大チェーンと呼ばれていたが、現在はアジアコーヒの本元は解散している中野晴行『謎のマンガ家・酒井七馬伝 「新宝島」伝説の光と影』筑摩書房2007年。大阪市天王寺区玉造の「アジアコーヒ日の出通り店」が大阪の朝日放送テレビ番組探偵!ナイトスクープ」で紹介され、関西地区で注目が集まり、その後追いとして1994年日本テレビたけし・さんま世紀末特別番組!! 世界超偉人伝説」などで紹介されたのをきっかけに、アジアコーヒは全国的に有名になった。この店はかつてはコーヒーを主要メニューとしていたが、テレビ放映当時はぼろぼろな壊れかけの店で、コーヒーはなく、メニューには「幻」の飲料といわれる「ネーポン」といつ作ったかわからないインドカレーしかなかった。ネーポンはテレビで全国放送されたときその余りのカルトさから、マニアがどんどん瓶ごと持って帰っていったため、一時「ミスパレード」の瓶に変えて発売されたとも言われる。末期にはビン不足から持ち帰り禁止になっていた。この店はテレビで紹介されて以降は有名な店になったが、当時80歳を超えていた店主が老齢で体調を崩して入院したため1997年頃に閉店した。その後約1年程度は廃墟として残ったが、1998年には建物が取り壊されたため現存せず、跡地は暫定的に駐車場になった後にマンションが建った。また店主だった女性も1998年に亡くなっている。アジアコーヒは1990年代始め頃までは大阪市内で複数の店舗が営業を続けていたが、店主の高齢化や資本力の高い大手チェーン店などに圧されるなどして1990年代から2000年代にかけて急速に店舗数を減らしていった。2007年の時点ではかつてフランチャイズだった店が独立して大阪市内(北区中崎町や都島区など)で一部の店舗が確認されていたが、最後まで残った都島店が2013年に廃業し、その歴史に幕を閉じた。なお、「アジアコーヒー」でなく「アジアコーヒ」という最後を伸ばさない表記が正しく、他に関西で「コーヒー」のことを「コーヒ」と表記している店(例:イノダコーヒ)も少なくない。また、灘中学校・高等学校の生徒会誌にアジアコーヒのことが掲載されたことがあるが、これには3店舗しかアジアコーヒの店舗はないと記載されておいるなど、いくつかの誤りがある。

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